Diary

201811/01(木)

渚ようこさんのこと


[1]
遠く北のモーテルでこれをしたためる気持ちになったのは衝動としか云えない
書き進む気力も冷静さも残らないこのカラダにはかなりアルコールという切っても切れないあんたとあたしの因果と縁が巣食っている深夜である
山形、白鷹、この街を愛したあなたの気持ちがあたしにはよくわかる
頑張ったね東京で、お疲れ様
これは東京人のあたしからの言葉
しかしなんでこんなにあたしたちはウマが合ったのだろうということを改めて考え、そして記してみたいと思う
鉄は熱いうちに打て、風化されてしまうこのパッションを一刻も早く表に晒すのがあたしの使命だと思うから
どうか渚ようこと云う名前を忘れないで欲しいので書き進めてみます

[2]
ここまで書いたのが10月2日深夜でしたのでひと月も放ったらかしにしてしまったことになります。決して忘れていたわけでもサボっていたわけでもなく、ただただ忙しかったと云う理由に尽きるのですが、そろそろ色々なことを復活させないといけないのでその為に続きを書きます。思い返せば戸川昌子ママの時もしばらくなんにも書けなかった。しばらくしてから陳腐な言葉をちょこちょこっとTwitterに残しておしまい。今回はそういうわけにもいかない気がして。あたしはようこさんが亡くなる前日に偶然道端ですれ違っていました。少しの時間、立ち話。18時半をちょこっと過ぎた頃。翌日の訃報も早い時間に聞いて、結果的に最初に病院に駆けつけた数人のうちのひとりになりました。仲良しのこの世でのほぼ最後の姿、そして旅立った最初のお顔を見届けることになったわけでした。
それからはただただ、「はいこっち、次はあれ!」みたいにようこさんに背中を押されてとにかく出来ることを精一杯やってみた、って感じでした。病院を出た時のブルースカイブルー、火葬場で見上げたブルースカイブルー。ご遺骨を抱いて最後のエロチック・トロワの集合写真を撮った山形のブルースカイブルー。こういう時に涙が出ないって本当なんだなあ、とそれは苦虫を噛み潰したみたいな顔のあたしが携帯の中にいました。

はじめて逢ったのが2000年12月のことだから18年のお付き合い、ってことになります。よく、仲良しは何年逢わなくてもすぐに心が繋がれて、とか云いますが、そしてそれは本当だよなあ、とも思いますがようこさんとあたしがちょっと違っていたのは結局離れることが1回も無かったってことでした。いつも近くにいる人。青い部屋からはじまってゴールデン街に三ヶ月遅れであたしがお店出しておんなじマンション住んで、その後のサラヴァ東京でもレギュラーの様に出演してくれて。2月17日の閉店前日、16日は渚ようこソロライブの予定でした。もうこれは運命超えて宿命みたいなものでしょう。血の繋がらない家族たちはお互いが家族を持った時に親戚付き合いをしようね、と約束していました。

あたしは勘が鋭いところがあって、実は第一印象で渚ようこさんが苦手でした。きっと仲良くならないだろうなあ、とこちらが勝手に閉じた扉を強引にこじ開けられる様に頻繁に連絡が来て。あら、はじめて見誤ったなと思った場所は代田橋の水道局の横を車で走りながら電話で喋っている時でした。なんでそういうことを覚えているのだろうか、とも思うけど、ひとつは自分で勘を外したことへのがっくり、とそれ以上になんだか嬉しかった気持ちがあったから。それからの急接近は自分でも上手にお話出来ませんが、ひとつ、あっという間であったというのは確かでした。青い部屋からはじまったファミリー達は自然とエルナ、渚、ソワレのエロチック・トロワを中心にその輪を拡げてゆきました。かな坊、プチちゃん、デビルス、炎子、プチ&アコはようこさんを「おかん」と呼び、あたしは「パパ」、エルナ姉さんはそのまま「お姉さん」。困った時は助け合い、嬉しい時は喜び合う。周りにも何となくその不思議な家族感は伝わっていて、我々もそれを心地よく感じ、お誕生日は1このくす玉を三人で持ち回りしたり、地方に出掛けては飲み明かしたり、お互いの本当の家族を紹介したり、そんなことを普通に無理なくずっと続けていました。兎に角仲が良かったのです。

ようこさんは電話が長くて、そして人の話を全然聞かなくて、そして電話に出ると最初に「ごめ〜〜ん」とまず誤ります。その「ごめ〜〜ん」は半分本当で、で、でも「ごめんなさい」の他に「ごめんください」「ごめんこうむりますが」とか色々なものが混ざっていました。普通、あんまり歌手同士、それもソロシンガーが仲良くなる話は聞かないものですが、なんだかウマが合ったとしか云いようがない感じでお互いを尊敬し、ライバルとだけど励まし合って、そして何よりあたし達はデュエットの声の相性がとても、よかった。記念ライブには必ずお越しくださってデュエットソングを作ったり、与太話で盛り上げてくれたり、想い出が尽きないとはこのことでしょう。

お願いされたわけもありますがお部屋の整理をずっとやっていて、その中に幻となってしまった11月30日の構成案がありました。お部屋はグチャグチャでしたがどこに何があるのかはちゃんと判っている様な、几帳面(?)な人だったのであの人らしいなあ、と思いましたが本当に残念なことです。エロチック・トロワのコーナーで唄う曲もありました。あ〜、これがやりたかったのね。残念です。でもようこさんが一番残念かも知れないね。仕方ないね。
ひとには終わりがありますがこの思いはいつになったら終わりになるのか判りません。10月28日にマンションの鍵を不動産屋さんにお返しして、その後追悼イベントに出演する為、吉祥寺に向かいました。ちょうどひと月か。。入口近くの壁に凭れながら夢のような幻のようなそのイベントを見ていました。うたも唄ったけどあたしにはまだこの場所は早いのだな、と思いました。だってひと月ずっとようこさんのリアルな現実を片付けて来たのだもの。ひとりで事実を咀嚼する時間んなんてなかったから。ようこさんがいない、っていう事実。

ゴールデン街「汀」も残せることになったし、配信もはじまりそうだし、ほっとすることもあったけど、一番ほっとしたのは故郷にようこさんの縁を送れたことです。さよなら。山の様なダンボールの蓋を開けにまた、ゆくからね。そして東京の仲間で1月15日に追悼のイベントやりますからね。心の中の大きな山とやらなくちゃ!ってことは一旦超えられたから、あなたがいないことをゆっくりこれから見つめてゆきますね。まだあなたの唄をひとりで聴くのが怖いダサダサなあたしにもそろそろさよならしたいしね。
どうかみなさま、渚ようこさんのことを
♪わすれ〜、な〜い〜で〜(ラスト・ダンスは私に)

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